こんにちは。セツナコです。
我が家でも子供たちはゲームに夢中です。私自身も子供の頃、ゲームが大好きでした。
しかし、私の幼少期、両親はゲームを買わない(やらせたくない)主義だったようで、ゲームを買ってもらえませんでした。
ゲームとの付き合い方は各家庭によって様々だと思います。
我が子がゲームに夢中になりだしてから、ふとゲームの歴史、特に任天堂の偉大さを知り、歴史についても興味を持ち、私なりに調べてみたくなりました。
今や子どもたちが夢中になって遊んでいる「Nintendo Switch」。
私たちの生活にすっかり溶け込んでいる任天堂ですが、実はその歴史が「100年以上前」から始まっていることをご存知ですか?
最先端のゲーム機を作っている会社が、元々は全く違うものを作っていました。企業の歴史やビジネスの転換期を紐解いていくと、単なるゲームの枠を超えた「生き残るための面白さ」が見えてきます。
今回から全4回にわたって、任天堂の壮大な歴史を深掘りしていきます!
第1回は、創業から大ブームを巻き起こした「ファミコン」誕生までの夜明けの時代です。
※この記事は情報の整理にAIツールを活用していますが、筆者の実体験をもとに人間が加筆・修正を行っています。
1889年創業!実は「花札」から始まった任天堂
任天堂の創業は、なんと明治時代の中頃である1889年(明治22年)にまで遡ります。
京都で山内房治郎氏が手作りの花札製造として創業した当時の主力商品は、ゲーム機ではなく「花札」や「トランプ」でした。
- 1902年には日本で初めて本格的なトランプの製造に着手しました。
- 1953年には日本初のプラスチック製トランプの量産化に成功しました。
- 1959年にはディズニーキャラクターを使用したトランプを発売しています。
創業初期からすでに「キャラクターIPと娯楽の融合」という、現代に通ずるビジネスモデルの土台ができていたのは驚きですよね。
しかし、カードゲームだけではいずれ企業の成長に限界が来ます。そこで任天堂は、1960年代後半から「おもちゃ」の製造へと大きく舵を切りました。伸び縮みするマジックハンドのような「ウルトラハンド」や、室内用のバッティングマシン「ウルトラマシン」など、ユニークなアイデア商品を次々とヒットさせ、娯楽企業としての土台を築いていったのです。
ゲームの歴史を変えた大発明!「ゲーム&ウオッチ」
おもちゃメーカーとして試行錯誤を続ける中、1970年代に入るとエレクトロニクス技術の発展に伴い、電子技術の波がやってきます。
ここで任天堂の歴史、そして世界のゲーム史を揺るがす大発明が生まれました。それが、1980年に発売された初の携帯型ゲーム機『ゲーム&ウオッチ』です。
開発者の横井軍平氏が、電車の座席でサラリーマンが電卓のボタンを押して暇つぶしをしている姿を見たのがきっかけだと言われています。「電卓サイズのゲーム機があれば売れるのではないか」と閃いたのです。

『ゲーム&ウオッチ』について、私自身は全く存じ上げないものですが、きっと懐かしい!と感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
また、現代では、電車の中でスマホをいじっていない人はいないのではないか、、、というくらい皆さんスマホを見ていますが、当時は暇つぶしが「電卓だった」というところにも衝撃を受けますね。
ここには、任天堂の有名な哲学である「枯れた技術の水平思考」が存分に発揮されています。すでに広く普及して安価になった技術(電卓用の液晶ディスプレイなど)を、全く別の新しい遊び(携帯型ゲーム機)へと転用する素晴らしいアイデアでした。
重要|「十字キー」が生まれた本当のタイミング
今やどんなゲームのコントローラーにも当たり前についている「十字キー」。 実はこの大発明、1980年の初代『ゲーム&ウオッチ』から付いていたわけではないんです!
歴史的な事実として、十字キーが初めて採用されたのは、1982年6月に発売されたマルチスクリーン版の『ゲーム&ウオッチ ドンキーコング』においてでした。
アーケード版の『ドンキーコング』を携帯機へ移植する過程で、親指のみで4方向の直感的な移動を可能にするために考案されたのが十字キーです。このインターフェースの革新により、プレイヤーは視線を画面から逸らすことなく複雑なキャラクター操作ができるようになりました。

「十字キー」の誕生についても驚きですが、『ドンキーコング』がこれほど古くからあるゲームだったとは衝撃です!ドンキーコング好きの私としては、当時の『ドンキーコング』がどのようなものだったのか気になります・・・
この大発明が後の『ファミリーコンピュータ』へと継承され、現在の子どもたちが遊んでいるゲームの操作の「世界的な標準」となったのです。
1983年、「ファミコン」誕生とスーパーマリオの衝撃
『ゲーム&ウオッチ』の大ヒットで得た資金と技術をもとに、任天堂はついに家庭用テレビゲーム機の開発に乗り出します。
そして1983年、あの赤と白の機体『ファミリーコンピュータ(通称:ファミコン)』が発売されました。当時のゲーム機としては破格の安さ(14,800円)でありながら、ゲームセンターと遜色ない美しい画面で遊べるファミコンは、瞬く間に日本中の子どもたちの心を鷲掴みにしました。
- ハードウェアの価格を意図的に抑える。
- 「カセットを差し替えるだけで別のゲームが遊べる」という交換可能なソフトウェアを継続的に販売する。
この「ハード・ソフト分離型のプラットフォームビジネス」を確立した意義は極めて大きいものでした。
さらに1985年、ゲーム業界の歴史を決定づけるソフト『スーパーマリオブラザーズ』が発売されます。滑らかなジャンプ、隠しアイテム、多彩なステージ。その完成度の高さは日本国内だけでなく、世界中(アメリカでは『Nintendo Entertainment System』として発売)で爆発的な大ヒットを記録し、「Nintendo」の名を世界に轟かせました。

ここで任天堂の代名詞とも言える『スーパーマリオブラザーズ』が誕生するんですね。『ドンキーコング』の方が誕生が早かったというのは意外でしたが、それでもどちらも現代まで愛され続けているということが素晴らしいですよね。
まとめ:遊びへの探求心が世界的企業を生んだ
第1回は、花札の製造からファミコンによる世界制覇までの道のりをご紹介しました。
時代の変化に合わせて「紙のカード」から「電子ゲーム」へと柔軟にビジネスの形を変えつつも、「人を驚かせ、楽しませる」という根幹は全くブレていないのが、任天堂の強さの秘密ですね。
ちなみに、2024年10月に京都にオープンした「ニンテンドーミュージアム」では、ここで紹介した任天堂の原点である「花札」づくりを実際に体験できたり、歴代のゲーム機の巨大コントローラーで遊べたりします。ブログで歴史を知ってから足を運ぶと、お子さんと一緒に何倍も楽しめますよ!
次回【第2回】は、映像と音楽が劇的に進化した「スーパーファミコン」から、3Dの時代へと突入する「NINTENDO64」、そして任天堂が直面した苦難の時代「ゲームキューブ」へと迫ります!
私たちが小学生の頃に夢中になったあのゲームたちが続々と登場しますので、ぜひ続けて読んでみてくださいね!
⬇︎【第2回】スーパーファミコンからゲームキューブへ〜進化の衝撃と、立ちはだかる試練〜




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