任天堂の歴史①|花札からファミコン誕生まで年表で解説

※当ブログのアイキャッチ画像は、AI画像生成ツールを使用して作成しています。
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こんにちは。セツナコです。

我が家の子どもたちは、今日も元気に『Nintendo Switch』で遊んでいます。その様子を横目で見ながら、ふと気になったことがありました。「そもそも任天堂って、いつからゲームを作っている会社なんだろう?」

調べてみて驚いたのですが、任天堂の創業はなんと1889年(明治22年)。しかも最初に作っていたのはゲーム機ではなく、花札だったのです。

今回から全4回にわたって、任天堂の歴史を私なりに深掘りしていきます。第1回は、創業からファミコン誕生までの「夜明けの時代」です。

この記事を読むと、こんなことが分かります。

  • 任天堂が花札屋さんからゲーム会社になるまでの流れ(年表つき)
  • 「枯れた技術の水平思考」という有名な任天堂の哲学
  • 今のコントローラーにある「十字キー」が生まれた本当のタイミング
  • ファミコンがなぜ、あれほど爆発的に売れたのか

※この記事は情報の整理にAIツールを活用していますが、筆者の実体験をもとに人間が加筆・修正を行っています。

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まずはざっくり|任天堂の歴史を年表で見る

細かい話に入る前に、この記事で扱う時代の流れを一枚にまとめました。「思っていたより長い…!」というのが正直な感想です。

年できごと
1889年京都で創業。花札の製造を開始
1902年日本で初めて本格的なトランプの製造に着手
1953年日本初のプラスチック製トランプの量産化に成功
1959年ディズニーキャラクターを使用したトランプを発売
1960年代後半「ウルトラハンド」などおもちゃ事業へ進出
1980年携帯型ゲーム機『ゲーム&ウオッチ』発売
1982年『ゲーム&ウオッチ ドンキーコング』で十字キーが初採用
1983年『ファミリーコンピュータ』発売(14,800円)
1985年『スーパーマリオブラザーズ』発売

花札からファミコンまで、およそ90年以上。ここからは、それぞれの時代を少しずつ見ていきます。

1889年創業|任天堂は「花札」から始まった

任天堂の創業は、明治時代の中頃である1889年(明治22年)にまで遡ります。京都で山内房治郎氏が手作りの花札製造として創業しました。当時の主力商品は、もちろんゲーム機ではなく「花札」や「トランプ」です。

その後の歩みも、カードゲーム一本ではありませんでした。

  • 1902年、日本で初めて本格的なトランプの製造に着手
  • 1953年、日本初のプラスチック製トランプの量産化に成功
  • 1959年、ディズニーキャラクターを使用したトランプを発売

注目したいのは1959年です。創業初期からすでに「キャラクターIPと娯楽の融合」という、現代に通ずるビジネスモデルの土台ができていたのですね。マリオやポケモンでキャラクターの力を最大限に使う今の任天堂の姿は、実はこの頃から地続きなのだと思うと、少し見え方が変わってきます。

「任天堂=ゲーム」のイメージしかなかった私にとって、花札スタートというのは衝撃でした。しかも明治時代…! 子どもに教えたら「うそだー!」と言われました。笑

実は今でも買える、任天堂の花札

ここで意外だったのが、任天堂は今も花札を作り続けているということです。「大統領」という名前の花札が定番商品として販売されていて、Switchを売っている会社と同じ会社の商品だと思うと、なんだか感慨深いものがあります。

お値段も手の届く範囲で、お正月に家族で遊ぶ用に一つあってもいいかもしれません。歴史の話をしたあとに実物を見せると、子どもの食いつきが違いました。

おもちゃメーカーへの転身|ウルトラハンドの時代

とはいえ、カードゲームだけではいずれ企業の成長に限界が来ます。そこで任天堂は、1960年代後半から「おもちゃ」の製造へと大きく舵を切りました。

伸び縮みするマジックハンドのような「ウルトラハンド」や、室内用のバッティングマシン「ウルトラマシン」など、ユニークなアイデア商品を次々とヒットさせ、娯楽企業としての土台を築いていきます。

この「本業が頭打ちになる前に、隣の分野へ移っていく」という動き方は、100年以上続く会社ならではだなと感じました。作っているものは変わっても、「人を楽しませる」という軸だけは一度もブレていないのですよね。

1980年『ゲーム&ウオッチ』と「枯れた技術の水平思考」

おもちゃメーカーとして試行錯誤を続ける中、1970年代に入るとエレクトロニクス技術の波がやってきます。そしてここで、世界のゲーム史を揺るがす大発明が生まれました。1980年に発売された、初の携帯型ゲーム機『ゲーム&ウオッチ』です。

開発者の横井軍平氏が、電車の座席でサラリーマンが電卓のボタンを押して暇つぶしをしている姿を見たのがきっかけだと言われています。「電卓サイズのゲーム機があれば売れるのではないか」と閃いたのだそうです。

現代では、電車の中でスマホをいじっていない人はいないのではないか…というくらい皆さんスマホを見ていますよね。当時の暇つぶしが「電卓だった」というところにも衝撃を受けます。

ここで登場するのが、任天堂の有名な哲学である「枯れた技術の水平思考」です。難しそうな言葉ですが、意味はとてもシンプルでした。

枯れた技術の水平思考=すでに広く普及して安くなった技術(=枯れた技術)を、まったく別の遊びに転用する(=水平思考)という考え方。

電卓用の液晶ディスプレイという「もう新しくもなんともない技術」を、携帯型ゲーム機という新しい遊びに変えてしまった。最新技術で殴り合うのではなく、手元にあるもので誰も思いつかなかった遊びを作る。この発想が、このあとの任天堂を何度も救うことになります。

横井軍平さんの発想をもっと知りたい方へ

この「枯れた技術の水平思考」という考え方、ゲームに限らず仕事にも子育てにも効くなと思って、私は関連する本を読んでみました。横井軍平さんご本人の言葉をまとめた『横井軍平ゲーム館』は、ゲームを知らなくても十分面白く読めます。

「新しいものを買わなくても、今あるもので工夫すればいい」という話が、家計の話にもそのまま重なるようで、個人的にはかなり刺さりました。

十字キーが生まれた本当のタイミング

今やどんなゲームのコントローラーにも当たり前についている「十字キー」。実はこの大発明、1980年の初代『ゲーム&ウオッチ』から付いていたわけではないんです。

歴史的な事実として、十字キーが初めて採用されたのは、1982年6月に発売されたマルチスクリーン版の『ゲーム&ウオッチ ドンキーコング』でした。

アーケード版の『ドンキーコング』を携帯機へ移植する過程で、親指のみで4方向の直感的な移動を可能にするために考案されたのが十字キーです。このインターフェースの革新により、プレイヤーは視線を画面から逸らすことなく複雑なキャラクター操作ができるようになりました。

「十字キー」の誕生についても驚きですが、『ドンキーコング』がこれほど古くからあるゲームだったとは衝撃です! ドンキーコング好きの私としては、当時の『ドンキーコング』がどのようなものだったのか気になります…

この大発明が後の『ファミリーコンピュータ』へと継承され、現在の子どもたちが遊んでいるゲームの操作の「世界的な標準」となったのです。今わが子が握っているJoy-Conの十字ボタンも、元をたどれば1982年の携帯ゲーム機にたどり着く。そう考えると、ちょっと感動しませんか。

1983年、ファミコン誕生とスーパーマリオの衝撃

『ゲーム&ウオッチ』の大ヒットで得た資金と技術をもとに、任天堂はついに家庭用テレビゲーム機の開発に乗り出します。

そして1983年、あの赤と白の機体『ファミリーコンピュータ(通称:ファミコン)』が発売されました。当時のゲーム機としては破格の安さである14,800円でありながら、ゲームセンターと遜色ない美しい画面で遊べるファミコンは、瞬く間に日本中の子どもたちの心を鷲掴みにしました。

ファミコンが本当にすごかったのは「売り方」

ファミコンの功績は、ゲーム機そのものの性能だけではありません。むしろ私が驚いたのは、そのビジネスの組み立て方でした。

  • ハードウェアの価格を意図的に抑える
  • 「カセットを差し替えるだけで別のゲームが遊べる」という交換可能なソフトウェアを継続的に販売する

本体で大きく儲けず、あとからソフトで回収していく。この「ハード・ソフト分離型のプラットフォームビジネス」を確立した意義は、極めて大きいものでした。今のスマホアプリやサブスクにも通じる考え方が、40年以上前にすでにあったことになります。

さらに1985年、ゲーム業界の歴史を決定づけるソフト『スーパーマリオブラザーズ』が発売されます。滑らかなジャンプ、隠しアイテム、多彩なステージ。その完成度の高さは日本国内だけでなく、世界中(アメリカでは『Nintendo Entertainment System』として発売)で爆発的な大ヒットを記録し、「Nintendo」の名を世界に轟かせました。

ここで任天堂の代名詞とも言える『スーパーマリオブラザーズ』が誕生するんですね。『ドンキーコング』の方が誕生が早かったというのは意外でしたが、それでもどちらも現代まで愛され続けているということが素晴らしいですよね。

任天堂の原点に、実際に触れてみるなら

ここまで読んで「実物を見てみたい」と思った方に、2つほど。

ニンテンドーミュージアム(京都)

2024年10月に京都にオープンした「ニンテンドーミュージアム」では、この記事で紹介した任天堂の原点である「花札」づくりを実際に体験できたり、歴代のゲーム機の巨大コントローラーで遊べたりします。

入館にはチケットの事前申込が必要です。行く前にこの記事くらいの流れを頭に入れておくと、展示の一つひとつが「あ、これが十字キーの…!」と繋がって、お子さんと一緒に何倍も楽しめますよ。

復刻ハードで、当時のゲームをそのまま遊ぶ

「ミュージアムまでは行けないけれど、ファミコンのゲームを子どもに見せてみたい」という場合は、復刻版のハードという選択肢もあります。当時のソフトが内蔵されたミニサイズの復刻機や、『ゲーム&ウオッチ』の復刻版が出ています。

ただしすでに生産が終了しているものもあり、価格が上がっている場合があります。定価とかけ離れていないか、購入前に確認してみてください。

まとめ|遊びへの探求心が、世界的企業を生んだ

第1回は、花札の製造からファミコンによる世界制覇までの道のりをご紹介しました。

時代の変化に合わせて「紙のカード」から「電子ゲーム」へと柔軟にビジネスの形を変えつつも、「人を驚かせ、楽しませる」という根幹は全くブレていないのが、任天堂の強さの秘密ですね。

そして「枯れた技術の水平思考」という言葉。最新のものを追いかけなくても、今あるもので工夫すれば新しい価値は生み出せる。これは、限られた時間とお金でやりくりしている私たちの生活にも、そのまま当てはまる考え方だなと感じました。

次回【第2回】は、映像と音楽が劇的に進化した「スーパーファミコン」から、3Dの時代へと突入する「NINTENDO64」、そして任天堂が直面した苦難の時代「ゲームキューブ」へと迫ります。私たちが小学生の頃に夢中になったあのゲームたちが続々と登場しますので、ぜひ続けて読んでみてくださいね。

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最後に

今回調べてみて、私自身が一番おどろいたのは「十字キーが1982年生まれ」という事実でした。

皆さんが最初に触れた任天堂のハードは何でしたか? ファミコンでしょうか、それともゲームボーイでしょうか。よかったらコメントで教えてください。同世代の方の思い出話、とても読みたいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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