ニンテンドーDSとWiiの革命|任天堂の歴史③【年表つき】

※当ブログのアイキャッチ画像は、AI画像生成ツールを使用して作成しています。
スポンサーリンク
ガジェット

本ページはプロモーションが含まれています

こんにちは。セツナコです。

前回は、スーパーファミコンからNINTENDO64、そしてゲームキューブへと至る「進化と試練の時代」を振り返りました。実に懐かしい内容でしたね。

映像が綺麗になり、複雑で奥深いゲームが作れるようになった一方で、任天堂は「このままではゲームが一部のマニアだけのものになってしまう」という強い危機感を抱いていました。

連載第3回となる今回は、2000年代半ばに任天堂が仕掛けた大革命に迫ります。ターゲットは、子どもや若者だけではありません。「普段まったくゲームをしない大人やお年寄り」までをも巻き込んだ、驚きの戦略とは一体何だったのでしょうか。

そして記事の後半では、大成功のあとに任天堂を襲った「もう一度の試練」についても触れます。

※この記事は情報の整理にAIツールを活用していますが、筆者の実体験をもとに人間が加筆・修正を行っています。

スポンサーリンク

まずはざっくり|この時代のハードを年表で見る

年ハード世界累計販売台数
2004年ニンテンドーDS1億5,402万台
2006年Wii1億163万台
2011年ニンテンドー3DS7,594万台
2012年Wii U1,356万台

出典:任天堂株式会社「ゲーム専用機販売実績」(2026年6月末時点・全世界連結累計)

前回のゲームキューブが2,174万台だったことを思い出してください。そこからDSで1億5,402万台。約7倍です。

そして最後の行、Wii Uの1,356万台。……そうなんです。この時代は、大逆転だけでは終わりませんでした。順番に見ていきましょう。

迫り来る「ゲーム離れ」と、任天堂のブルーオーシャン戦略

2000年代前半、ゲーム業界全体に暗い影が落ちていました。「ゲームの複雑化」により、初心者には操作が難しくなりすぎて、ゲームから離れてしまう人が増えていたのです。

そこで任天堂は、他社と「グラフィックの美しさ」や「処理速度の速さ」で競い合うのを、きっぱりと辞めました。そして「ゲーム人口の拡大(年齢、性別、ゲーム経験の有無を問わず、誰もが楽しめるものを作る)」という、全く新しい市場を開拓する道を選んだのです。

「ブルーオーシャン戦略」をかみ砕くと

この方針は、しばしば「ブルーオーシャン戦略」と呼ばれます。難しそうな言葉ですが、意味はシンプルでした。

レッドオーシャン=みんなが同じ土俵で戦い、血で血を洗う真っ赤な海。
ブルーオーシャン=まだ誰も泳いでいない、青く穏やかな海。
勝てない勝負に挑み続けるのではなく、そもそも戦わなくていい場所を自分で見つけるという考え方。

任天堂にとってのブルーオーシャンは、「今までゲームを遊んでいなかった人たち」でした。ソニーやマイクロソフトと性能で殴り合うのをやめて、まったく別の場所に行ってしまったわけです。

これ、フルタイムで働きながら家のことをしている身としては、かなり刺さる考え方でした。全部で勝とうとするから疲れるのであって、「ここは戦わない」と決めることも立派な戦略なのですよね。

ここで任天堂は大きく舵を切ったのですね。結果として大成功となっているので、当時の判断は間違いなかった! ということになりますね。素晴らしい!

2004年、タッチペンの魔法「ニンテンドーDS」

まず世界を驚かせたのが、2004年に発売された携帯型ゲーム機『ニンテンドーDS』です。

上下2つの画面を持ち、下画面には「タッチパネル」を採用。十字キーやボタンの操作が苦手な人でも、「タッチペンで画面を触るだけ」という直感的な操作なら、スマホすら普及していなかった当時の人たちにもすぐに理解できました。

結果は世界累計1億5,402万台。任天堂の歴代ハードの中でもトップクラスの数字です。

「脳トレ」が社会現象に

このDSの普及を爆発的に後押ししたのが『脳を鍛える大人のDSトレーニング(脳トレ)』です。「ゲームは子どもが遊ぶもの」という常識を覆し、お父さんやお母さん、さらにはおじいちゃんおばあちゃんまでもがDSで脳トレに励むという、異例の社会現象が起きました。

ゲームの目的を「純粋な娯楽」から「認知機能の維持・向上」という実用的な領域へ拡張したことは、歴史的に見ても非常に大きな出来事でした。

今でいう健康アプリやフィットネストラッカーの発想を、2005年にゲーム機でやっていたことになります。改めて考えると、すごく早いですよね。

やはりDSも買ってもらえなかったセツナコです。笑 しかし、当時の私もまだ他社のゲームに夢中になっていたか、大きくなりゲームから一旦離れていたのかもしれません。しかし、DSが流行っていたことだけは存じ上げておりました!

2006年、リビングの主役に躍り出た「Wii」

DSの大成功に続き、据え置き型ゲーム機でも任天堂は革命を起こします。2006年発売の『Wii(ウィー)』です。

最大の特徴は、テレビのリモコンのような形をした「Wiiリモコン」。従来の複雑なボタン操作を捨て、「テニスラケットのように振る」「ボーリングの球のように振り下ろす」といった、現実の動きと連動した「体感操作」を取り入れました。

家族の健康とコミュニケーションを繋ぐ

本体と同時に発売された『Wii Sports』は、お年寄りから小さな子どもまで、家族全員が一緒に笑い合いながら遊べる魔法のソフトでした。

また、『Wii Fit』は日々の運動不足解消や体重管理をゲーム感覚でできる画期的なソフトとして大ヒット。ゲーム機が「おもちゃ」の枠を超え、リビングを家族の健康管理や世代間コミュニケーションのハブへと変容させた瞬間でした。

ここでも「ボタンが押せない人」というブルーオーシャンに向かっているのが分かります。リモコンを振るだけなら、説明書を読まなくても遊べますから。

当時の私は一人でRPGをやることにハマっていたため、「家族でゲーム」という概念がありませんでした。しかし、当時ご家庭を持つ方々にとっては、実に素晴らしい商品だったのではないでしょうか!

この大革命を率いた人|岩田聡さんという社長

ここで、どうしても触れておきたい人がいます。当時の任天堂の社長、岩田聡(いわた・さとる)さんです。

これまで紹介してきた「ゲーム人口の拡大」という方針は、岩田さんが掲げた言葉でした。第1回でご紹介した横井軍平さんが「枯れた技術の水平思考」でゲーム&ウオッチを生んだように、DS・Wiiの時代を作ったのは岩田さんの考え方だったと言えます。

岩田さんはもともとプログラマー出身で、社長になってからも自ら手を動かす方だったそうです。「社長」という肩書きから想像する人物像とは、少し違いますよね。

2015年に55歳という若さで亡くなられましたが、その言葉は今も多くの人に読み継がれています。

岩田さんの言葉をまとめた一冊

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』という本があります。ゲーム業界の話というより、「人とどう働くか」「どう考えるか」についての本で、ゲームを知らない方が読んでも十分おもしろいと思います。

私が読んで一番うなずいたのは、「自分の得意なことと、人が喜んでくれることが重なる場所を探す」という趣旨の話でした。ブログを書いている身としても、子育てをしている身としても、しばらく考えてしまいました。

その後|3DSとWii U、再びやってきた試練

さて、DSとWiiで頂点を極めた任天堂ですが、物語はここで終わりません。

2011年に発売された『ニンテンドー3DS』は、裸眼で3D映像が見られる携帯機として登場し、7,594万台を記録しました。決して悪い数字ではありませんが、DSの1億5,402万台からは半減しています。

そして2012年発売の『Wii U』。こちらは1,356万台にとどまりました。前回ご紹介したゲームキューブの2,174万台を下回り、任天堂の据え置き機としては歴代最低の数字です。

なぜWii Uは伸びなかったのか

理由はいくつか語られていますが、私が調べた中で「なるほど」と思ったのはこの点でした。

  • 名前が分かりにくかった:「Wii U」が新しいゲーム機なのか、Wiiの追加パーツなのか、多くの人に伝わらなかった
  • スマホの登場:2012年頃には、無料で遊べるスマホゲームが一気に広まっていた。「ちょっとした暇つぶし」という市場を、任天堂はスマホに奪われた形になった

DS・Wiiで開拓した「ゲームをしない人たち」というブルーオーシャンに、今度はスマホが大挙して押し寄せてきた。せっかく見つけた青い海が、また赤く染まってしまったわけです。

ここが私には一番おもしろく感じた部分でした。勝ち方を見つけても、5年後には通用しなくなる。だからまた次の答えを探しにいく。任天堂の歴史は、この繰り返しなのですね。

まとめ|常識を疑い、「遊びの幅」を広げた大逆転劇

第3回は、DSとWiiがもたらした「ゲーム人口の拡大」という大革命と、その後に訪れた再びの試練について振り返りました。

「ボタンで操作する」「座って画面を見る」という当たり前を捨てて、タッチペンや体感操作という「直感的な楽しさ」を追求したことで、任天堂は再びゲーム業界のトップランナーへと返り咲きました。

そしてWii Uでの苦戦を経て、任天堂が出した次の答えが——携帯機と据え置き機の垣根をなくした『Nintendo Switch』でした。

このDSやWii時代に培われた「リビングでの直感的な遊び」という思想は、現在の最新機Switch 2の『Jamboree TV』などのソフトにも、確実に受け継がれています。

次回はいよいよ最終回。Wii Uの1,356万台から、Switchの1億5,659万台へ。どうやってそんな逆転が起きたのか、そしてゲームの枠を飛び出した任天堂の「今」について語ります。

シリーズ全4回はこちら

⬇︎【第4回】Switch 2は何が進化した?歴代ハードの販売台数を一覧で比較

Switch 2は何が進化した?任天堂の歴史④【2026年最新】
任天堂の歴史シリーズ最終回。初代Switchが起こした革命から、累計2,368万台を売り上げたSwitch 2の進化、マリオ映画の大ヒット、ポケモン30周年まで。歴代ハードの販売台数一覧つきで解説します。

⬇︎【第1回】花札からファミコン誕生へ〜世界的企業の夜明けと驚きの原点〜

任天堂の歴史①|花札からファミコン誕生まで年表で解説
任天堂の歴史を年表でわかりやすく解説。1889年の花札創業から、ウルトラハンド、ゲーム&ウオッチ、十字キーの誕生、そして1983年のファミコン誕生までを、子育て世代の目線でたどります。

⬇︎【第2回】スーファミからゲームキューブへ〜進化の衝撃と、立ちはだかる試練〜

スーパーファミコンから64へ|任天堂の歴史②年表で解説
任天堂の歴史シリーズ第2回。1990年のスーパーファミコンから、ゲームボーイの黄金期、3D時代のNINTENDO64、そして苦戦したゲームキューブまで。販売台数の一覧つきで、高性能化のジレンマをわかりやすく解説します。

⬇︎ 歴史はさておき「結局うちの子には今どのソフトを買えばいいの?」という方へ。我が家の子どもたちのリアルな流行をもとに、親目線でメリット・デメリットをまとめたランキング記事もあります。

小学生のSwitchおすすめゲーム|親目線で選ぶ2026年最新版
小学生に人気のNintendo Switch・Switch 2ソフトを、小6と小4の子を持つ親目線で厳選。用途別の選び方から、ロブロックスの注意点、みまもり設定と課金ルールまで、2026年9月時点の情報でまとめました。

最後に

DSとWiiの時代は、私自身はちょうどゲームから離れていた頃でした。だからこそ今回調べていて、「あの時、世の中ではこんなことが起きていたのか」と新鮮に驚くことばかりでした。

皆さんのご家庭には、DSやWiiはありましたか。脳トレやWii Sportsで盛り上がった思い出のある方、よかったらコメントで教えてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

コメント